小さい時は、人と関わるのが怖いって考えたことなかったけど、いつしか怖いって気持ちが私の中にはあった。
この怖いって、何なんだろうって考えてみた。
結論、それはきっと、自分に足りない、弱い部分を知られた時、
相手にどう思われるんだろう、嫌われて自分の居場所がなくなるんじゃないかとか、
自分のことを知った相手に裏切られるんじゃないかっていう恐れだったんじゃないかって思う。
なぜ、繋がることを恐れるようになったのか。
これは、私の場合の話。
元々、小さい頃から、人の顔色をうかがって、いい子でいようとしている部分はあった。
学生時代のある日。
いつも行動を共にしていた友人同士のはずだった人たちが、ある日を境に仲間外れにしているのを見た。
年頃の時にはよくあることだったのかもしれないけど、当時の私はあんなに仲良くしていたのになんでって誰も信じられなくなってしまった。
そして、誰かから嫌われて居場所がなくなることを恐れ、人に合わせていい人を演じるようになった。
就職してからも、自分が足りてないところや苦手なところを知られることで、無能だって思われるのが怖かった。うまく人に頼ることが出来なかった。
自分が無能で必要とされなくなったら、存在価値や居場所がなくなって、安全が脅かされるような気がして。
結果的に、体調を崩したことで、自分の存在価値は仕事の出来やいい子でいることで決まる訳じゃないってことに気づけたのだけど。
最後に
私の繋がりたいの意味。
それは、取り繕うことなく、足りてない部分も含めて、自然体な自分で深く繋がりあえること。
だからこそ、自分の弱い部分を見せないように、知られないように頑張っていた過去の自分にとっては、繋がることが怖いことなのかもしれないって思う。
でも、人それぞれ得意不得意ってある。
それに、相手がどう思うか、好き嫌いをどう思っているのかは自分にはわからないし、選べない。
だから、周りに合わせようって頑張らなくてもいいのかもしれないって今なら思える。
それでもまだ、時々頑張っちゃう自分が無意識に出てくる。
それも、過去の自分を守るために必要だった自分の一部で、警報を鳴らしちゃうときがあるんだよねって思ったら、「よく頑張ったね、ありがとう」って優しくできる。
表面的な付き合いは、うまくいっているように見えて、心の中はとても孤独だから。
肩の力を抜いて、苦なく、自然体で繋がりあえる関係を築いていけたらいいなって思う。
焦らず、ゆっくりと。期待しすぎずに。
おわり。
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