最近、他の人の成果を素直に喜べないことがある。自分に自信がないのにプライドが高いんだよなーっていうのが悩み。どうしたらいいんだろう?と考える中で、「自分はバカだって思ってみるのはどうか?」という一つの仮説にたどり着いた。そして、バカだと思うことにはメリットがあるかもって考え始めたので書いてみたい。
「自分はバカだと思ってみること」のメリット
自分の中にある常識を疑える
「社会人だから、先輩だから、○○であるべき」「〇〇しなければならない」
この思考にだいぶ悩まされた。そして、当時の私はこれが正しいと信じ込んでしまっていた。信じ込んでいるから疑うという考えすらなかった。
でも本当にそうなんだろうか?
「先輩だから出来てなきゃいけない。出来て当然。出来ない部分があったらダメだ。」と思っていたけど、人によって得意・不得意は違うし、全てを完璧にできる人なんていないよなーって思う。
それに、人によって考え方は違う。「先輩・後輩関係なく補いあえばいいじゃん!」って考える人もいる。
自分が今まで常識と思っていた考え方が、正しいとは限らない。
自分は柔軟性の欠ける考え方をしていたなーと思う。
だから、「バカ」という言葉で、自分の常識を疑ってみることにした。
謙虚な気持ちになり、相手の話を素直に聞ける
自分の中にある常識を疑うこと、「本当にそうなのか?」という視点を持つことで、相手の話を聞く余裕が生まれると思う。
「バカ」という言葉で、違う視点から考えるきっかけになる。
最初に書いた「最近、他の人の成果を素直に喜べないことがある」ということで言えば、自分は優劣で考えてしまっているんだなーって思う。けれども、実際は誰かが成果を出しているからといって、自分がマイナスになる訳ではない。人それぞれ得意・不得意も視点も異なるのだから、協力し合えばもっといい成果につながるのではないかという考え方もある。
褒められても、そこで止まらない
頭がいいと言われたり、何か成果を褒められたりすると、どうしても次に何かをしようとしたときに失敗が怖くなって、動けなくなってしまうことがある。自分で自分にプレッシャーをかけてしまう。自分に期待している部分や失敗したら他の人からどう思われるんだろうっていう気持ちもあるかもしれない。
そんな時、「自分はバカだ」と思えば、肩の荷が少し降りて行動できるかもしれない。
最後に
「バカ」という言葉だけ聞くと、否定的な意味に感じるかもしれない。
実際、「自分はバカだからどうせ無理」と思い込んでしまっていたり、何かが起こった時、「自分はバカだから出来なかった」と信じ込んで考えることを止めてしまえば、成長はないし、否定的な意味でのバカになってしまうと思う。
だから、「自分はバカ」というのは自分自身を振り返ったり、行動を移そうとしたとき、肯定的な意味で自分にプラスになるような形で使えたらいいんじゃないかと私は思う。
以上、仮説でした。
コメント