私は、不安や恐怖の感情に支配されやすい。
支配されてしまうとどうなるか。
その不安や恐怖を伴う行動を避けたくなってしまう。
逃げることは悪いことばかりではないが、私はたとえ逃げたくなかったとしても不安の感情の方が大きくなって(支配されて)、逃げるという選択を取りがちだ。
行動範囲はどんどん狭くなってしまう。自由がなくなっていく。
どうしたら、不安な感情を消せるんだろうと思っていた。
だが、最近読んだ本で、不安な感情があったとしても行動は変えられるのかもしれないと考えさせられた内容があったので書いてみたい。

そもそも、不安という感情は消せるのだろうか。
以下は、「自信がなくても行動すれば自信はあとからついてくる」という本から引用。
ACTはネガティブな思考を本質的な問題とは考えない。ネガティブ思考は、それに囚われた時、それに注意を向けた時、それを絶対的真実として扱う時、コントロールすることを許した時、あるいはそれと戦おうとする時のみ問題になる。
(中略)
私たちの心は言ってみれば理由付けの機械だ。私たちが重要な変化を起こそうとする度に、心はそれができない、すべきでない、する必要がない理由のリストを次から次へと作る。そして、この作業をやめさせる方法はない。
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私は、不安や恐怖という感情に支配されやすい。
予測のつかないことを始めようとする時や、以前失敗した嫌な体験を再び行おうとする時、また、特に理由がない時でも、ネガティブな感情がわいて出てくることがある。
そして、「また失敗するかもしれない」「私には出来ない」と勝手に理由付けし、時に逃げてしまったり、何も行動に移せないという選択をしてしまう。
今まではこの不安な感情を消すためにはどうしたらいいのだろうと考えていたが、私にとって、不安や恐怖の感情は本能的なものでコントロールできるものではない。消せるものではないなと思った。
ネガティブな思考はそのままに。そして、行動はコントロールできる。
以下も、同じ本から引用。
ここで、本書でもっとも重要な言葉を紹介しよう。「有効性」だ。これをあなたの脳に刻み込んでほしい。ここからの話はすべて、この有効性を軸に進めていく。有効性は次のシンプルな質問で表される。「その行動が、より豊かでより満ち足りた、意味ある人生を創造するために役立つか?」。答えがイエスならあなたの行動には有効性がある。ノーなら有効性はない。
(中略)
だが、この手法は思考が真実であるか否かを議論するものではないことを肝に銘じてほしい。私たちが注意を向けるべきは「この思考に行動を支配させたら、望む人生に導いてくれるだろうか?」ということだけだ。
‟集中”についてはよく知っているだろう。意識をフルに集中し、現在に生きる、‟今・ここ”に密着する、現在の経験にすべての注意を向け、それと完全につながる。自動運転とは真逆の状態だ。
”拡張”も回避の対極にある状態だ。拡張モードでは不快感を追いやろうとせず、心を開いてそれを受け入れてやる。不快感に居場所を作ってやり、それが好きなように現れ、去るがままにさせる。
不快感を好むわけでも求めるわけでも、また承認するわけでもない。それと戦うために時間と努力を費やすのをやめるのだ。こうした難しい感情に居場所を与えてやるだけで、それがもたらすショックや影響は減少する。
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不安という感情はコントロールできない。
だが、ネガティブな思考があったとしても行動をコントロールすることはできる。
「逃げる」という行動が、自分の価値観、向かいたい、進みたい方向に沿った行動なのかどうか。
自分に問いかけてみる。
そして、この本で言う、拡張モードで、わいてきたネガティブな思考を無理やり追いやるのではなく、支配させるのでもなく、そのまま漂わせておくような感じにしておく。
「あー、私は今不安な気持ちになっているんだなー。」
「不安な気持ちになっている自分がいるんだな。」とか。
「出来ないって思っている自分がいるな。」
「出来ないって思う自分を責めている自分がいるなー。」って。
思考に気づき、囚われることなく、目の前のことに集中する。
自分に問いかけてみたり、不安な思考があっても行動はコントロールできるんだって気づいたことで、ちょっとだけ行動を変えることができる場面が増えている。
(いきなりは難しい・・・)
それでも、やっぱり逃げてしまう・・・そんなときは、
出来るだけ小さな行動を。少しずつ積み重ねる。
・いきなり、一人で行動に起こすのは怖い。不安。
そんな時は誰かと一緒にやってみる。
・ブログを書き始めるのは、自分の考えを書くのは怖かった。
だから、Xで投稿することから始めてみた。
・自分の凝り固まった考えを柔軟にしたかった。
だから、いつもだったら、おいしいって知ってるお店に行ってしまうけど、入ったことのないお店に行って食事をしてみたり、散歩ルートを変えてみたり。プライベートの時間で普段とはちょっと違う行動をとって変化を楽しんでみた。
大きな目標を達成するのは怖いから。小さな行動を少しずつ。
三日坊主でも、また始めればいい。
以下は、「最強メンタルをつくる前頭葉トレーニング」という本から引用。
「三日坊主」という言葉がありますね。飽きっぽくて何をしても長続きをしないことのたとえです。一般的には長続きしない人を非難する意味で用いられていますが、私は必ずしもマイナスな意味として捉えてはいません。
なぜなら、たとえ三日しか続かなかったとしても、「何かを始めた」こと自体が素晴らしいことだからです。
ゼロだったものが一になる。これは脳の中の回路の働き方が、ある閾値(境界線となる値)を超えることです。仮に一度でも閾値を超えれば、そのこと自体が脳に変化をもたらすのです。
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いきなり出来るようになるのは難しい。
だから、1度出来なかったとしても、また問いかけてみればいい。
練習すればいい。
三日坊主をまた始めればいい。
逃げてしまった、出来なかった自分を責めなくてもいい。
行動できたことに意味があると思うから。
最後に
逃げることは必ずしも悪いことではないと思う。
実際、逃げたり、立ち止まったりする選択を取ったことで、自分と向きあい、気づきを得られたこともあるから。
ただ、ネガティブな感情に囚われ、その感情で頭がいっぱいになるのはつらい。
だから、私は不安に支配されない考え方の一つを練習してみるのである。
おわり。

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