「自由になりたい」
一度は考えてみたことがある人もいるのではないだろうか。
以前の私は「とにかく自由になりたい!」そう思っていた。
日常生活の中に様々な不自由を感じていて、とにかく逃げ出したかったのだと思う。
私が今思う、「自由とは何か」について書いてみたいと思う。
不自由からの解放
自由とは何かを考えた時に思い浮かんだのは、不自由からの解放。
毎日が何かに縛られているような、不自由な感じだった。
何に不自由を感じていたのだろうか。
他人の目からの解放
「これを言ったら相手はどう思うだろうか」
相手のことを考えるという意味では悪いことばかりではないが、
当時、その裏には、これを言ったら自分は出来ない人間だと思われるんじゃないか(つまり失敗するのが怖い、他人と比較していた)という考えが私の中にはあった。
出来ない人間だと思われないために、場の空気が悪くならないように円滑にいくように、気を遣ってしまう相手と関わるときは、前もって何を話すか考えることが習慣となっていた。
行動に移す前の準備は悪いことではないけど、相手の顔色を覗って、評価を気にして、心配しすぎると疲れてしまう。
常識・固定概念からの解放
「○○なんだから、○○であるべき」
会社の中に何となくある雰囲気や自分自身の中に無意識に育まれていた固定概念。
気づくことができれば、自分自身を追い詰めることはなかったのかもしれない。
ただ、雰囲気も無意識に自分の中にあるものも、走り続けている時に俯瞰してみる時間をとってみなければ気づくのは難しいのかもしれない。
義務感からの解放
やらなきゃ。やらなきゃ。
日々何かしらの仕事に追われているような感覚だった。
やりたくないと思っている仕事も誰かがやらないといけない。
そう思って引き受けることが多くなってしまっていた。
引き受けた結果、仕事をしている自分が存在意義と感じるようになって手放せなくなっていた。
今なら思う。自分にとって苦手な仕事は誰かの得意な仕事である可能性もあると。
自分の存在意義はその仕事にあるのではないと。
変わらぬ日常からの解放
他人の目、常識、自分の中にある固定概念、義務的にやっている仕事。
失敗を恐れて前に進めていないと感じる自分。
この変わらない、むしろ停滞・衰退していたかもしれない日常をどうにかしたかった。
自由について考えるきっかけとなった本
- 時間革命 1秒もムダに生きるな[堀江貴文]
自分の過ごしてきた時間について考えさせられるきっかけとなった。
結局、他人や世間の目を気にして、それを考えることばかりに時間を使ってしまい、自分の時間を生きれていなかったのだと思う。
自分の時間を生きられていない感覚があることも「自由になりたい!」と思った一つの要素だと思う。
そしてもう一冊。これは最近読んでいる本。
・自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと[四角大輔]
まとめ
自由とは何か。
それは、不自由から自分を解放し、自分らしく生きることではないかと思う。
「自分らしく」というと抽象的でわかりにくいかもしれないけど・・・
私の場合は、
・他人の目や常識で自分を縛りつけることなく、鎧をかぶり続けることなく、自然体で自分のペースで生きる。
・日常の中にある幸せに気づき、新しい発見を楽しむ。
・そして、自然体な自分で繋がり、繋がり合えた相手も自分らしくいられること。
今はそう思っている。
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